1/14 コリント人への手紙第一11 章17 29 節「ふさわしい聖餐を目指して」 小池 宏明 牧師
当時、コリントの教会における「主の晩餐」と呼ばれる食事の場が分裂の場になっていた。それは、我先にと食べて満腹の者もいれば、空腹の者もいる、酒に酔っている者までもいるという混乱状態であった。(21 節)
*聖餐に臨む心構え
聖餐式に臨むクリスチャンたちのふさわしい心構えを確認したい。23 25 節「私は主から受けたことを、あなたがたに伝えました。すなわち、主イエスは渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげた後、それを裂き、こう言われました。「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。」食事の後、同じように杯を取って言われました。「この杯は、わたしの血による新しい契約です。飲むたびに、わたしを覚えて、これを行いなさい。」」この後の29 節までを含めた箇所は、今日の聖餐式の式文に入れられることになった。聖餐式に臨む信徒たちの心構えは「主イエス・キリストを覚える」ことだ。聖餐のパンを取って見る時、それは小麦粉が材料の種なしパンだが、イエス様の体を象徴している。イエス様が「わたしのからだです」と述べているので、キリストの体そのものであると信仰の眼で見るのだ。しかも、十字架に掛けられて、私たちの罪の身代わりに死んでささげられた主の体である。イエス様の体を象徴しているパンは、贖い(救い)のしるしである。信徒たちは、パンを食する度に、確かに救われていることを深く自覚することになる。キリストの体が犠牲になって、私たちは恵みを受けた。キリストの体を分け合う私たちは、キリストの元に集まった神の家族であることも自覚できる。また、主イエス・キリストの血潮を象徴しているのが、ぶどう液である。赤いぶどう液はキリストの血をイメージすることができる。神の御子イエス・キリストの尊い血潮を飲むことによってクリスチャンたちは、救いの契約を結んでいることを自覚できる。クリスチャンたちは、地上の肉体から解放された時に、天の御国を体験することになる。やがて、天の御国では、イエス様と一緒に、食事会を楽しむことになる。
*人の食欲さえ用いて
主なる神様は、私たち生身の人間にとって、一番の欲求である「食欲」を用いて、聖なる救い主イエス・キリストの限りない恵みを自覚させようと配慮して下さった。主イエス様の限りない謙りを覚えて、私たちも限りなく主をほめたたえ、感謝と喜びをもって、神と隣り人に仕える者でありたい。