1/21 コリント人への手紙第一12 章1 11 節「一つの御霊による多様な賜物」 小池 宏明 牧師
当時のコリント教会における混乱、分派、対立の原因に聖霊の賜物の一つ「異言」に関する誤解があった。「異言」を発する信徒たちがより信仰的であるという考えが起こり、そうでない信徒たちを見下すようになっていた。この問題は、今日の教会も起こることで実際に起こってきた。それゆえ聖霊とか、聖霊の賜物について、よく知っておく必要がある。(1 節)今回は、聖霊の働きとは何か確認し、私たちに与えられている聖霊の賜物の特徴を覚えておきたい。
*聖霊の働きによる信仰告白
第一に、聖霊の働きは、3 節のとおりである。「…また、聖霊によるのでなければ、だれも「イエスは主です」と言うことはできません。」
霊的なことは、人間の肉眼では判断が付きにくいが、「イエス・キリストは主なる神様である」と口に出して告白するなら、誰にでも分かる。この告白に導いたお方が、聖霊なる神様である。逆に見れば、人々が「イエスは主です」と告白しないとか、させない霊的な働きがあるなら、それは聖霊ではない。聖霊の働きは、必ず救い主、イエス・キリストを証しする。
*皆の益のためにすべてのキリスト者に聖霊の賜物が与えられている
第二は、聖霊の賜物の特徴について確認する。7 節「皆の益となるために、一人ひとりに御霊の現れが与えられているのです。」聖霊によって信徒たちに与えられている賜物(プレゼント)は、教会に集っているひとり一人の益のために与えられている。しかも、聖霊の賜物はすべてのキリスト者たちに、御心のままに、必ず与えられている。私には「何の賜物も与えられていない」などと謙遜な方がいるかもしれないが、それは大きな誤解である。キリスト者たちは、信仰生活の中で、聖書通読や聖書日課に基づくディボーション、祈る事、賛美する事、他者のために祈る「とりなし」などチャレンジしてみることが大切である。すべてが聖霊なる神様から与えられたプレゼントなのだ。教会におけるさまざまな奉仕については、謙遜に、愛をもって、神様と兄弟姉妹たちに仕える動機で実践するものでありたい。