1/28 コリント人への手紙第一12 章12 26 節「キリストのからだとして組み合わされる教会」 小池 宏明 牧師

今回の箇所は、パウロの教会観(教会をどのように見ているか)がよく表れているところである。パウロは、教会を一つのからだに例え、一人一人はからだの各部分の一つ一つのようだと語る。
*御霊は教会に属する者を導く
聖霊は、すべてのクリスチャン信徒たちをキリストのからだ(教会)に属する者として結び合わせた。主は御心のままに、私たちひとり一人を呼び出して、多様性豊かな教会を創られた。教会はいろいろな人が集まってこそ教会なのだ。(14 19 節)他の兄弟姉妹と比較して自分を卑下したり、高ぶったりする必要はない。
また、教会に通って来て熱心に奉仕する兄弟姉妹がいる一方で、礼拝を休みがちな人々もいる。パウロは礼拝を休みがちな人、礼拝から遠ざかっている人が、なくてはならない大切な存在なのだと言う。(20 26 節)それは、主なる神様が、教会に属するクリスチャンたちに対して、互いに愛し合う者となれるように訓練を施しておられるからだ。
*愛のうちに立てられる教会
私たちは、聖霊からの賜物(プレゼント)と言えば、良いもの、役に立つものが与えられるものと思い込んでいるが、そうとも言えない。見栄えが劣っているものや格好の悪いものも、主なる神様が教会の群れに与えて下さった。それは、聖霊が、より優れた賜物を与えて下さるためだ。そして、私たち教会が、熱心により優れた賜物を追い求めるようになるためだ。より優れた賜物とは愛する賜物である。互いに違うという多様性は、互いに愛する道を選びとるために与えられているのである(31 節)さらに、パウロが常に意識しているのは、教会内の弱く見える者、劣っていると思う者たちであった。すなわち、礼拝の交わりから遠くなっている兄弟姉妹のことである。一般的に言えば、人間同士互いに会う機会が減れば、距離ができて、遠のいていき次第に関心が薄らいて行きがちであるが、キリストのからだである教会はそうであってはならない。ますます熱心なとりなしの祈りが積み上げられることが必要ではないだろうか。私たちは決して諦めずに祈り続ける訓練を受けている。何よりも、主なる神、イエス様ご自身が、救い出されたひとり一人を決して諦めることなく、招き続けて、呼び求め続けている。99 匹をおいて、1 匹の迷える子羊を見つけるまで捜し続けるように。(ルカ15 章)