1/7 コリント人への手紙第一11 章1 16 節「公的礼拝における服装」 小池 宏明 牧師

今日の箇所で、パウロは、コリントの諸教会の礼拝で起きていた「かぶり物の問題」について語っている。紀元一世紀のユダヤ人女性は公の場で、必ずベールをかぶっていた。また、ギリシア人女性も公の場では頭にかぶり物を付けていたと考えられている。これは礼拝で集まる場合に限らず、さまざまな寄り合いや集会では、必ず頭を覆っていた大切な習慣だった。
*つまずきを与えないように
また、当時は、かぶり物をしていない女性は遊女だと見なされていた。ところが、幾人かのコリント人クリスチャン女性は、公的な礼拝の場で頭の覆いを取っていた。それだけ解放された自由な雰囲気を楽しんでいたのだろう。しかし、公の礼拝の場で、かぶり物を付けていない女性たちは、礼儀作法を乱しているという批判が上がった。パウロは、コリント教会の人々が、一般的に多くの人々が受け入れていた習慣を無視して、他人につまずきを与えてしまうことを懸念していた。人々が救われる機会が奪われてしまうかもしれないからである。
*公の礼拝の場での服装
それでは、今の日本の公的な礼拝の場で、私たちはどのような服装をしたらよいのだろうか。もちろん、今の日本の習慣を無視してはならないだろう。今、日本で、かぶり物に関しては男女とも制限があるわけではないが、例えば、室内で帽子をかぶることは、礼儀に反し失礼になる場合があるだろう。礼拝におけるかぶり物以外の服装についても、どんな服装が良いとか悪いとかは一概には言えないと思う。ただ、礼拝という神様に賛美と祈りをささげる場では、神の栄光を現わすのにふさわしいと思われる服装を心がけることが大切であろう。例えば、外出する時パジャマや寝間着のままということは無いだろう。公的な礼拝の場は、皆で集まる場でもあり、他人が見て「ざわつくような服装」は避けたいものである。礼拝に集中できないとか、他人に不快な思いをさせるとか、そういうことがなければ良いのではないだろうか。最終的には、13 節前半のように「あなたがたは自分自身で判断しなさい」ということである。
パウロがこの手紙を書いた環境や時代と、今日の日本の教会が置かれている環境や時代とでは余りにも違い過ぎるので、文字通りパウロの言うことをそのまま受け入れることは出来ないが、すべての事において、食べるにも飲むにも、そして着るにも、主なる神様が崇められ、神の栄光のために、と心がけて歩んでいきたい。