12/31 ルカの福音書2 章25 35 節「主の慰めを待ち望む」 小池 宏明 牧師
今年は、大晦日が一週間の始まりにあたる。一年の終わりであり、一週間の始まりであるこの日を聖別して、主日礼拝をおささげできることを感謝したい。
*敬虔で正しい人シメオン
ここに登場するシメオンは「正しい、敬虔な人で」あった。(25 節)「正しい」とは他人に対して適切に振る舞うことを指す。「敬虔」とは、ユダヤ教の律法の義務を注意深く守っていることを意味する。彼は、模範的なユダヤ人の一市民であったと思われる。そんなシメオンの希望は、「イスラエルが慰められる」ことだった。これはメシア(救い主)が来ることを待ち望んでいたことを意味する。当時、ローマ帝国による支配は、ユダヤ人たちを政治的にも経済的にも圧迫していた。大国に虐げられている時代に、敬虔な人々は、解放を求めてメシア(救済者)を切望していた。そんな時代をシメオンや、同時代の人々は耐え忍んでいた。シメオンは、この時何歳だったのか記されていないが、かなり歳をとっていたのではないかと思われる。歳を重ねると、いろいろな生き辛さが出てくることもある。その上、他国に支配されて、異邦人が約束の土地を踏み荒らして、見るのも辛い状態が続いていた。しかし、シメオンは、信仰深く、忍耐深く、確信を持って、そして、希望を持って、待ち続けていた。聖霊なる神様のお約束を守り抜こうとしてしていた。(26 節)
*待ち望む信仰とは
シメオンは、徹底的に信じ抜く人生を、私たちへの模範として残した。ヘブル人への手紙に記されている信仰者のリストに名前が載るべき人物の一人がシメオンだと言える。ヘブル11 章1 2 節「さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。昔の人たちは、この信仰によって称賛されました。」
ローマ帝国の支配下にあるユダヤの国で生きたシメオンをはじめ、その時代のユダヤ人たちは、大きな圧迫を受けていた。患難時代を生きていた。しかし、シメオンは、だから「仕方ない」、「どうすることもできない」、「諦めるしかない」と腐らずに、シメオンは、期待して、希望をもって、御霊なる神様の御声に信頼して、確信を持って生きた。シメオンとは「聞く」という意味がある。主の御ことばを聴き続ける者にこそ希望がある。どんなに世の中が混乱して、悪がはびこり、苦難が多くなったとしても、大丈夫だ。主の御声に聴き続け、信頼し続ける私たちには希望がある。主の慰めを、主の救いと解放を、待ち望む新しい年、明日から始まる2024 年でありたい。