2/4 コリント人への手紙第一12 章31 節 13 章13 節「愛がないなら、無に等しい」 小池 宏明 牧師

この箇所は、「愛の賛歌」(13:4 77)と言われるとても有名な御ことばが含まれている。12 章で、キリストのからだなる教会は、一つの御霊によって多種多様な賜物が与えられていると語られてきた。さらにパウロは、はるかに優れた賜物を示している。
*愛の無い私たち
まず、パウロは世にある教会の姿を伝えている。1 3 節「たとえ私が人の異言や御使いの異言で話しても、愛がなければ、騒がしいどらや、うるさいシンバルと同じです。たとえ私が預言の賜物を持ち、あらゆる奥義とあらゆる知識に通じていても、たとえ山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、私は無に等しいのです。たとえ私が持っている物のすべてを分け与えても、たとえ私のからだを引き渡して誇ることになっても、愛がなければ、何の役にも立ちません。」パウロは、どんな犠牲を払ったとしても、命を捨てるほどの犠牲を払ったとしても、愛が無ければ、何の役にも立たない、と言い切る。このような「愛の無さ」は、パウロ自身の姿であると共に、コリントの教会における信徒たちの現実であり、そして、今日、この箇所を読んでいる私たちの愛の無さを浮き彫りにしている。教会内の問題の多くは「愛の欠如によるものだ」とパウロは訴えている。
*最高の賜物はアガペーの愛
4-7 節の「愛の賛歌」は次のとおり。「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、苛立たず、人がした悪を心に留めず、不正を喜ばずに、真理を喜びます。13:7 すべてを耐え、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを忍びます。」
ここで「愛」という言葉は聖書のギリシア語で「アガペー」(神の愛)である。神の愛は完全で無限な無償の愛である。人間には全くない愛なので、神様(聖霊)からプレゼントして頂かなければならない。
私たち人間は、もともと永遠を思う心が与えられているが、言葉で表現した「愛の賛歌」は有限である。「愛の賛歌」であっても、永遠の御国から見れば神の愛のごく一部しか表現できない。しかし、私たちが4 7 節の一つひとつを心得て目標にして、愛する動機で、自分に与えられている能力や志などを用いていくならば、キリストの似姿へと変えられていくだろう。私たちの多忙な日々が無に帰してしまわないように、神の愛とつながっている日々の歩みであるように願い求めよう。