4/28 コリント人への手紙第一15 章35-49 節「復活のからだとは」 小池 宏明 牧師

当時、コリント教会のある信徒から使徒パウロに出された質問の中に、次のよう
なものがあった。35 節「死者はどのようにしてよみがえるのか。どのようなから
だで来るのか」
ギリシア人たちは、現代人と同じように、死んで腐っていく身体
がよみがえるのはおかしい、そんなことがあるわけない、と考えていた。
*霊魂不滅
パウロは、植物を例えに出して、肉体は種のようなものだ、と言う。(36-38 節)
種は土の中で、発芽しなければ新しい体(根、茎、葉、花、実)が育っていかな
い。私たちの肉体とよみがえる時の新しいからだを植物の種と発芽後の茎や葉と
対比している。私たちの創造主なる神様は、私たちのこの肉体を、全く別のから
だに変化させる(復活させる)ことができる。血肉のからだが「死ぬ」ことによ
って御霊のからだが与えられるのだ。
*キリストは御霊の人々の先祖
さらに、パウロは血肉のからだと御霊のからだの大きな違いを示すために、最初
の人アダムと、最後のアダム、イエス・キリストとを対比している。45 節「こう
書かれています。「最初の人アダムは生きるものとなった。」しかし、最後のアダ
ムはいのちを与える御霊となりました。」
主イエス・キリストを信じ受け入れた者
は、キリストの霊である御霊が与えられて、キリストに属するキリストの子孫と
して生きることができる。48-49 節「土で造られた者たちはみな、この土で造ら
れた人に似ており、天に属する者たちはみな、この天に属する方に似ています。
私たちは、土で造られた人のかたちを持っていたように、天に属する方のかたち
も持つことになるのです。」
私たちは、やがて天に属する者として、天に属する「か
たち」が与えられるようになる。私たちの復活のからだは、血肉の身体ではなく
て、御霊に属するからだである。
堕落したアダムの子孫としての身体は、朽ちていく、卑しい、弱い血肉である。し
かし、キリストに属する者は、キリストが天に属しているように、天上のからだを
頂けるのだ。血肉の身体の限界と卑しさ、そして弱さの中に置かれている私たちに
とって、決して朽ちるこのない栄光のからだが与えられることは、どれほどの大き
な励ましであろうか。どんなに大きな希望であろうか。ただ、ただ、主イエス・キ
リストの素晴らしい御業をほめたたえて、主の御名を賛美して、賛美の歌をうたい
ながら、感謝をささげながら、この地上の歩みを全うしたい。