5/26 創世記25 章20-26 節「主のみこころを求めていきる」 小池 宏明 牧師

今日は、教会学校 子ども☆チャペルと合同の礼拝をささげる。今日の登場人物は
エサウとヤコブの兄弟である。
*主の御心
信仰の父と呼ばれたアブラハムに歳をとって与えられたのが息子のイサクである。
そして、このイサクは大人になってリベカと結婚して双子が生まれることになる。
リベカが妊娠した時、胎内で子どもがぶつかり合うようになったので、リベカは
主なる神様に祈り求めた。主はリベカに御心を示された。それは、兄が弟に仕え
る(従う)ようになるという預言だった。母リベカはそのことに心を留めていて、
弟息子のヤコブを特別に可愛がった。一方、父イサクは、兄息子のエサウを特別
に可愛がった。父母の息子たちへの偏愛はやがて大きな問題となる。
*祝福の横取りは愚かなこと
イサクは歳をとって眼がだんだんと見えなくなってきた。そこで、イサクは可愛
がっている兄息子エサウを呼んで長子の祝福を与えることにした。しかし、この
ことを知った母リベカは、弟息子ヤコブを兄のエサウに変装させて、父イサクを
騙して、長子の祝福を横取りするように命じた。そして、ヤコブは母リベカの悪
知恵に従って、本来長子が受け継ぐべき祝福を弟なのに横取りしたのである。こ
の後、兄のエサウは、怒って、弟のヤコブを殺す決意を固めた。ヤコブは、遠い
国に逃げることになった。
リベカもヤコブも自分の知恵と力で主の御心を実現させようと、父や兄に嘘を付
いて騙したのである。しかし、家族を騙すことが、主なる神様の御心に叶うこと
であろうか。まことに愚かな家族である。「愚かにならないで、主のみこころが何
であるかを悟りなさい。」(エペソ5:17)(今週の暗唱聖句)
このような愚かさは他人事ではない。私たちも、私たち家族も同じような過ちを
犯してしまいやすいのである。家族のような近しい関係であればあるほど、かえ
ってコミュニケーションが疎かになり、互いに誤解することもあるだろう。
私たちは、常に、聖書の御ことばに教えられ、どんな時も主の御心を求めて祈り
続け、主の御業に期待して、主に委ねて歩んでいきたい。さらに、私たちひとり
一人は主なる神様から示されたことを互いに分かち合って、誤解や行き違いを防
ぎ、一致して歩んでいきたい。