6/16 「柔和な者の幸い」小池 宏明 牧師
マタイの福音書5章5節
「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。」という主の御こ
とばに聴く。
*柔和の意味
柔和な者とは、新約聖書の原語のギリシア語では、対人関係において、やさしく
て、穏やかな態度をとれる人という意味でなり、イエス様が使っていたアラム語
では、神様との関係において、自らの乏しさ、惨めさを忍耐しつつ、主なる神様
に期待して待ち望むことが「柔和である」ことを意味していた。当時、主イエス
様が語った直接的な意味合いは、恐らく、じっと忍耐して主を待ち望む者の幸い、
ということであろう。しかし、そういう人は、対人関係においても優しく、穏や
かに接することができる芯の強さを持ち合わせることにもなるだろう。
*柔和の模範イエス・キリスト
新約聖書の中で、この「柔和」という言葉は4回しか出てこない。そのうち3回
は、このマタイの福音書である。1回目は今日の箇所である。2回目は、マタイ
の 11 章 28-29 節でのイエス様の招きである。「28 すべて疲れた人、重荷を負っ
ている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを
負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。」そ
して、3回目は、イエス様が、ろばに乗ってエルサレムに入城された時に、ゼカ
リヤ書9 章9 節の預言が成就したとされる所である。21 章5 節「「娘シオンに言
え。『見よ、あなたの王があなたのところに来る。柔和な方で、ろばに乗って。
荷ろばの子である、子ろばに乗って。』」」いずれにしても、「柔和」はイエス様に
ついて語る時に用いられている。柔和なイエス・キリストは、私たちの魂に安ら
ぎを与えるお方であり、武力ではなく優しさをもって地を治める王である。私た
ちは、主イエス様の招きに応えて、主と共にくびきを負う者でありたい。私たち
が柔和さを主イエス様から学ぶことは、実は信仰の問題である。主の優しい恵み
が、暴力に溢れたこの世界を変革して平安を与えることができると信じ切ること
ができるかどうかの問題である。柔和に生きることを選択したがゆえに、損をし
たり、悔しい思いをしたりするかもしれない。しかしそれでも信仰をもって主の
言葉に聴き従い続けるのだ。こうして、イエス様のような柔和な者たちが、この
世界を平安の内に受け継ぐようになっていく。柔和な者たちがこの地上世界を受
け継ぐという主の約束を信じて、主を待ち望みつつ、この世にあっては一つでも
二つでも優しい言葉を語る者へと成長していきたい。