6/30 マタイの福音書5章6節 「義に飢え渇く者の幸い」 小池宏明牧師
6 節の「飢え渇き」は極端な飢餓状態を表す表現である。ギリシア語の新約聖書で
は、「飢える」という単語と「渇く」という単語が「and」でつながっていて、本来の
意味は「飢える」は腹が空いてペコペコ状態、「渇く」咽喉が渇いてカラカラ状態を表
している。しかし、この飢え渇きは食べることに対してではなく「義」に対する「飢
え渇き」なのである。「義」に飢え渇くとはどういうことだろうか?
*正しい言動をあきらめないで!
今も世界各地で戦争が起きている。戦争はみな「正義のために」と訴えて、国民を
鼓舞して起きている。戦争すなわち人殺しを推し進める悪法は人間が作るのである。
人間は、実のところは、善悪の判断すらつかない愚か者なのである。それでも、主イ
エス様は、義に飢え渇く者を祝福すると語られる。これは神のかたちとして創造され
た人間の良心に従って、正しく生きること、正義を訴えることをあきらめてはならな
い、ということでもある。主は、飢え渇くように正義を求めて生き続けよ、と励まし
ておられる。なぜならば、義に飢え渇く者たちは、満ち足りるようになるからである。
「満ち足りる」とは「満腹する」ことである。この主イエス様に希望を持って正義を
求め続ける、正しく語り、正しく行動する者でありたい。
*義人はキリスト信仰によって生きる
「義人は信仰によって生きる」(ローマ 1:17)とあるように、私たちは、どんな状
況にあっても、正義を追い求めて生きることの大前提は「キリスト信仰」にある。私
たちが飢え渇いて求めるお方は、根本的には、聖なる正義の神、主イエス・キリスト
なのである。主なる神様の御許には、人間を縛っているすべての不正、不義からの解
放がある。主こそ、私たちの飢え渇きを満たして余りあるお方、主なる神様の御許で、
御心にかなった正義に満ち足りて生きることができる。信仰をもって、義なる神イエ
ス・キリストを飢え渇くように求めるならば、満ち足りるようになる。そして、そう
いう人々から御心にかなった正義が広がっていくのである。
*義なる神様を慕い求める教会
詩篇 42 篇の詩人のように、主の御前にへりくだって、忍耐深く主を求め続けた信
仰者たちの姿が、今日の私たちへの模範であり励ましである。今こそ、この世に遣わ
されているキリストの群れ、キリストを頭とする教会は、神の言葉に飢え渇き、神の
義が欠乏しているこの世のために執り成し祈ることが必要である。どんな時にも祈り
続ける私たちの群れでありたい。主イエス様の約束を信じて、不義と不正が横行する
この世の回復を求めて祈り続けよう。