8/3 ヨハネの手紙第一3 章 4-10 節「キリストは罪を取り除くために」 小池 宏明 牧師
イエス様の12 弟子のひとりヨハネの手紙を読み進めていますが、今日
の箇所は、読むのが辛くなるような耳の痛い言葉が続いています。
*キリストにとどまる者は罪を犯し続けることなし
6 節で「キリストにとどまる者はだれも、罪を犯しません。」とは、一
度も罪を犯したことがないという意味ではなく、継続的(習慣的)に罪を
犯し続けない、という意味です。4 節から9 節にかけて、何度も「罪を犯
さない」という表現が繰り返されてますが、いずれも「現在形」で語られ
ています。ギリシア語の現在形には「継続」や「習慣」の意味があります。
「罪を継続的に習慣的に犯すことはない」ということは、罪を犯してしま
ったとしても「罪の中にとどまることはない」ということです。
*罪には神の義と神の愛を実践しないことでもある
また、10 節では「義を行わない」とか「兄弟を愛さない」という罪に
ついて言及しています。「このことによって、神の子どもと悪魔の子ども
の区別がはっきりします。義を行わない者はだれであれ、神から出た者で
はありません。兄弟を愛さない者もそうです。」ヨハネは、義を行わない
者や兄弟を愛さない者は、神から出た者ではなく悪魔の子どもであると厳
しく指摘しています。しかしながら、私たちは自分の罪や不正、愛の無さ
に気付いたとしても、罪を犯さないことや愛することができるわけではあ
りません。その現実に関して「本当にキリストの内にとどまってはいない
のだ」と指摘されれば、私たちは何の反論もできません。
*聖化の途上にあるキリスト者
しかし、私たちには大きな希望があります。5 節「あなたがたが知って
いるとおり、キリストは罪を取り除くために現れたのであり、この方のう
ちに罪はありません。」イエス様が最初に来られた時の目的は、罪を赦す
だけでなく「罪を取り除くために」来られたということです。救い主イエ
ス様は、私たちを造り変え、罪から離れさせ、罪に勝利する者となるため
に来られたのです。イエス様を信じたのなら、私たちは、いわば、神の遺
伝子を受け継ぐ神の子どもになったのです。そして、一度神の子とされた
者が、途中から悪魔の子に変化することは決してありません。新しい一週
間も、復活の主イエス・キリストの御力によって、神の子とされた者とし
て、きよい生き方ができますように祈りつつ、ここから出発しましょう。
