7/5 ローマ人への手紙2章1-16節 「道徳的な人々の罪」 小池 宏明 牧師
パウロは福音を信じることによって救われることを伝えるために、人間の罪の
問題を取り上げて福音の必要性を解き明かそうとしています。
*他人をさばく道徳的な人
パウロは、明らかな罪を犯す人々だけでなく、他人をさばき「自分はましだ」
と考えるいわゆる道徳的な人々も、同じく神様の御前に罪ある者であると指摘し
ています。人々は他人の欠点には敏感だが、自分の高ぶりや偽善には気づきにく
いものです。真のさばき主は神様だけです。人間がその立場にとって代わること
はできません。
*行いに表れる信仰
神様は一人ひとりを、その行いに応じて公正に報いられます。ただし、これは
行いによる救いを教えるものではありません。救いは神様の恵みにより、イエス・
キリストを信じる信仰によって与えられます。しかし信仰は行いに表れるため、
神様は人の行いを通してその心を明らかにされるのです。ユダヤ人も異邦人も、
ギリシア人もローマ人も、神様の御前では公正に判断されるのです。律法を知ら
ない異邦人も神様に創られているので良心が与えられています。その良心には神
の律法の一部が刻み込まれているのです。(例えば、安息日律法は知らなくても、
殺人や窃盗の禁止などについて良心は分かっているので、良心の呵責が起きるの
です。)それで良心が裁判官のように人々を公平にさばきます。
*キリストによって実行される最後のさばき
やがて、神様のさばきは、キリスト・イエスによって実行されます。その時、
他人に隠していた思いや行いもすべて明らかにされるのです。ですから、すべて
の人間は神様のいつくしみと忍耐を軽んじることなく、今のうちに悔い改め、救
い主イエス・キリストのもとに立ち帰る必要があるのです。
聖書は神様の愛だけでなく、罪とさばきも明確に語っています。もし、まだ福
音を受け入れていない方がおられるならば、キリストの十字架によって示される
罪の現実を認めて(自分が罪人であると自覚して)、福音の恵みを受け入れるよう
招かれているのです。
