9/6 歴代誌 第二 5章11-14節「賛美:歌えない理由、それでも歌う理由」佐藤 宣愛 牧師(盛岡みなみ教会)

*「主に向かって賛美した。そのとき」
“賛美”は時に教会を分裂させます。メロディを付けるべきか、オルガンを導入すべき
か、ギターを使っていいのか。“ステージに立つ人たち”と、“羨ましそうに眺める人た
ち”という、目に見えにくい分裂もあります。
しかし11節。「列席したすべての祭司たちは、務めの組分けにかかわらず自らを聖
別していた。」“奉仕者か会衆か”という区別はありません。12節には、「シンバル」「琴」
「竪琴」「ラッパ」が出てきます。楽器の種類に制限はありません。13 節。「ラッパを
吹き鳴らす者たち、歌い手たちが、まるで一人のように一致して……。」楽器の技術を
ひけらかす人、歌声を自慢するような人はいません。
プロテスタント教会では、礼拝の中心は説教です。もちろん説教は大切ですが、13
節後半。「主に向かって賛美した。そのとき、雲がその宮、すなわち主の宮に満ちた。」
説教を聞くだけなら、オンラインで十分かもしれません。しかし神の臨在は、説教を
聞いた会衆が、心一つに賛美歌を響かせる時に現れます。様々な事情があると思いま
すが、都合がつく時だけでもぜひ、ご一緒に賛美歌を歌いませんか。
*変わりやすい信仰、変わらない恵み
ある青年の質問。「賛美歌を歌う気分じゃない時は、どうしたらいいですか?」仕事、
家事、人間関係、教会の奉仕……。礼拝の席に座るだけでも精一杯。心から歌えない。
歌ったら嘘になってしまう。ああ、昔は喜んで歌えたはずなのに……。
今日の聖書箇所は、ソロモン王が神殿を完成させた紀元前950年ごろの場面。それ
から約500年後にまとめられたのが歴代誌。この頃、すでにソロモンの神殿は破壊さ
れ、代わりに第二神殿が建っていましたが、第一神殿のような荘厳さはなく、神の栄
光の雲が満ちることもありませんでした。礼拝をささげても、賛美を歌っても、昔の
ような感動が起こらない……。
しかし、だからこそ彼らは、「主はまことにいつくしみ深い」という 500 年前の賛
美歌を、自分たちの歴代誌に書き留めたのです。「神さまの愛は変わらないのだろう
か?」と疑ってしまう状況だったからこそ、賛美に励まされ、力を得ました。
2500年後の私たちも、変わりやすい感情、気分、信仰です。しかし主の恵みは変わ
りません。だから、歌って良いのです。落ち込んでいても、大きな声が出せなくても、
明るい声で歌えなくても、この歌が嘘になってしまうことはありません。