10/13 マタイの福音書6 章5-8 節「隠れている神への祈り」 小池 宏明 牧師
私たちにとって、御ことばと祈りは、信仰生活の基本中の基本です。今朝
の箇所で、イエス様は「祈り」について、避けるべき祈りを二つと祈りの本
質について教えておられます。
*偽善者の祈りと異邦人の祈り
避けるべき祈りは、偽善者の祈り(5 節)と異邦人の祈り(7 節)です。5
節「また、祈るとき偽善者たちのようであってはいけません。彼らは人々に
見えるように、会堂や大通りの角に立って祈るのが好きだからです。まこと
に、あなたがたに言います。彼らはすでに自分の報いを受けているのです。」
祈る対象は三位一体の神様です。人前で祈る時も、人目を気にし過ぎる必要
はありません。ましてや他人に聞かせるための祈りであってはならないので
す。もう一つ避けるべき祈りは、異邦人の祈りです。7 節「また、祈るとき、
異邦人のように、同じことばをただ繰り返してはいけません。彼らは、こと
ば数が多いことで聞かれると思っているのです。」真の主なる神様を知らない
人々は、同じ言葉を大声で繰り返して訴えれば神々を動かすことができると
思い込んでいる場合があります。人間が神々を動かそうとするなら、神々よ
りも人間が上にいて神に自分の願いを押し付けて「従え」と言っている傲慢
の罪になります。
*祈りとは二人だけの会話
祈りの本質は、生ける三位一体の神様との会話です。6 節「あなたが祈る
ときは、家の奥の自分の部屋に入りなさい。そして戸を閉めて、隠れたとこ
ろにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたところで見てお
られるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。」このような密室の祈り
は、神様から私への「二人きりでお話ししましょう」という招きなのです。
まことに親しい親友との語らいのように、恋人や夫婦同志が二人きりで親密
に会話するように、三位一体の神様は、私自身と交わりを持ちたいと願って
おられるのです。しかし、自分には密室がないという方もおられるでしょう。
この場合、空間としての部屋でなくてもよいでしょう。静かな時や場所や、
あるいは人混みの中でも神様と二人きりの心の密室を作ることができるかも
しれません。
私たちが、神様と二人だけになって祈る時を聖別して、大切にしたいと願
います