10/18 ローマ人への手紙7章7-13節「良心の夜明け」小池 宏明 牧師

今日の説教の題名は「良心の夜明け」です。信仰に導かれた人々は、律法によって罪
が刺激され、自分の内面の罪に気付き始めました。かつてパウロは、クリスチャンを迫
害することが神様に喜ばれる奉仕だと確信していました。しかし、よみがえられた主イ
エス・キリストの「なぜわたしを迫害するのか?」との語りかけに立ち止まり、自分が
神様の御心に反することをしていたと気付いたのです。
*内面の罪深さに気付いて
律法は神様から与えられた良いものであり、人を死(主なる神との断絶)に至らせる
のは律法ではなく罪です。パウロは「律法によらなければ、私は罪を知ることはなかっ
た」と振り返ります。パウロは十戒の「隣人のものを欲してはならない」が、行いでは
なく心の状態を禁じるものであり、他人の物を欲する自分の欲望が罪なのだと気付いた
のです。人間は他の人と比較しながら生きがちですが、そこから神様との縦の関係を求
め始めるなら、律法は恵みとなります。一方、禁止されるとかえって欲望が湧くように、
律法は罪の力を強めてしまうことがあります。自己中心な欲望は主なる神様が内在する
場所をさえ犯し、罪の領地を広げてしまうのです。
*律法は聖であり、救いの道を示す
パウロは律法が分かると罪の自覚が起き、罪の報いとして死をもたらすと語ります。
しかし、律法が悪いのではなく、人間の罪が私たちを死に至らせるのです。「律法は聖
なるものです。また戒めも聖なるものであり、正しく、また良いものです。」(12節) 健
康診断が病を明らかにするように、律法は限りない罪深さを示します。けれども、罪の
指摘だけで終わることは神様の御心ではありません。病の自覚が治療の必要を分からせ、
治療の道が希望をもたらすように、聖書はいつでもキリストの十字架による罪の赦しを
教えています。救いのない律法主義や、戒律だけのキリスト教教育は、人を傷つけ、聖
書の本質から遠ざけます。確実な救いの約束があるからこそ、罪が示されることに意味
があるのです。キリスト信仰によって義認(罪無し)とされた恵みに感謝し、罪の恐ろ
しさ以上に十字架の救いの大きさを語りましょう。自分が罪に気付いた時の救いの証し
を準備して、キリストによる救いの約束を高らかに証ししましょう。