10/4 ローマ人への手紙6章15-23節「罪の奴隷から義の奴隷に」小池 宏明 牧師
パウロは、「恵みの下にあるのだから、罪を犯そう、となるのでしょうか。決して
そんなことはありません」と語ります。恵みによる救いは、父なる神様が独り子イエ
ス・キリストに私たちの罪をすべて背負わせ、十字架上で死なせて成し遂げてくださ
った一方的な愛と恵みの業です。キリストが代価を支払ってくださったので、私たち
の主人は「罪」から「神様」へと変わりました。罪を犯し続けることができなくなっ
たのです。
*主人が変わると生活が変わる
私たちは「伝えられた教えの規範(イエス・キリストの福音)」(6:17)に心から服
従し、罪から解放されて義の奴隷となりました。以前は自分の手足を汚れと不法のた
めに献げていましたが、今はその手足を義の奴隷として献げ、聖潔に進むようにと召
されています。主人が変われば生き方も変わり、恵みを罪の口実にせず、感謝しつつ
神様に従い、キリストに似た者へと聖く変えられていくのです。
*主人が変わると報酬も変わる
罪の奴隷であった時に得た報酬は、今では恥ずかしく思うもので、その行き着くと
ころは「霊的な死」でした。しかし今は、罪から解放されて神様の奴隷(しもべ)と
なり、聖潔に至る実を得ています。その行き着くところは「永遠のいのち」です。私
たちは、主なる神様に仕え、神様の義のために御心にかなった奉仕をする者とされ、
報酬も変わりました。罪という主人の報酬は死ですが、神様に仕える者には、永遠の
いのちをはじめとする多くの祝福が与えられます。
*賜物としての永遠のいのち
「罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠
のいのちです。」( 6:23)永遠のいのちは、働きの成果が良い場合にだけ与えられる報
酬ではありません。どんなに罪深く、信仰が弱くても、イエス・キリストを「私の主」
と信じ、主なる神様に従って生きようとする者に、成果とは無関係にプレゼントされ
る「賜物」です。また、主のご用のために自分の手足や時間を喜んで献げる者を、神
様は祝してくださいます。罪を犯す自分を見て永遠のいのちを疑うのではなく、キリ
ストを信じる者には永遠のいのちが与えられるという御ことばの約束を堅く信じまし
ょう。神の国とその義を第一に求め、恵みの内に主のしもべとして歩むなら、自分の
労苦は主にあって無駄ではなく、豊かな実りを見ることになるのです。
