11/24 マタイの福音書6 章22-23 節「あなたの内にある光」 小池 宏明 牧師

前回、マタイの福音書6 章19-21 節で、主イエス様は「宝を天に蓄えなさい」
と語られました。私たちに与えられている「富」あるいは「宝」を誰のために、
何のために用いるのかが、問われていました。「宝」のあるところに心が向いてし
まうのです。天に「宝」を積んで、天の父なる神様に心を向けるように招いてお
られました。
*目つきの悪い人は地上に宝を蓄える人
今日の箇所は22~23 節です。「からだの明かりは目です。ですから、あなたの
目が健やかなら全身が明るくなりますが、 目が悪ければ全身が暗くなります。で
すから、もしあなたのうちにある光が闇なら、その闇はどれほどでしょうか。」目
が健やかとか、目が悪いとは、人の風貌のこと、「顔つき」や「目つき」のことを
言っているわけではありません。旧約聖書の箴言によれば、目が悪い人とは、物
惜しみする人のことを指すユダヤ的な表現です。物惜しみする人とは、自分のた
めに宝を蓄えて偽りの安心を得ている人のことで、その人生は暗闇になってしま
うのです。
*光なるキリストを見上げながら生きる幸い
22 節「からだの明かりは目です。ですから、あなたの目が健やかなら全身が明
るくなります・・・」は、昔の人々の「目は光が入って来る窓」という考えに基
づいて語られています。「あなたの目が健やか」という意味は、心が澄んでいて、
心の目が一心に光なる神様に集中していることを意味します。光に例えられてい
る主イエス・キリストを見上げて生きるならば、その人の生涯に闇はなく、明る
い光輝く人生になる、というのです。
誰もが、闇よりも光を求めます。そして宝を天に蓄えるならば、宝のある天に
心を向けます。主イエス様は私たち人間のことをよく理解しておられて、私たち
を優しく、光である主なる神様の許に導こうとしておられるのです。この主イエ
ス様のお招きに、素直に、子どものように素直に、応答しませんか! あなたの
内側に、主なる神イエス・キリストの光を迎え入れて、あなたの人生が、心の底
から輝く光に照らされながら歩む人生でありますようにと、願います。
そして、すでに光なる主イエス様を頂いているキリストの教会は、その光を隠
すことなく、人々の前に掲げる「灯台」のような存在でありたいのです。来週か
らアドヴェントを迎えます。救いの光、平和の光である救い主、平和の君、イエ
ス・キリストを多くの人々にお証しする時としたいのです。