11/3 マタイの福音書6 章19-21 節「地上の宝、天の宝」 小池 宏明 牧師

 今日の箇所で、イエス様は、地上に宝を蓄えることと、天に宝を蓄える
こととを対比されています。マタイ6 章19-21 節「19 自分のために、地
上に宝を蓄えるのはやめなさい。そこでは虫やさびで傷物になり、盗人
が壁に穴を開けて盗みます。20 自分のために、天に宝を蓄えなさい。そ
こでは虫やさびで傷物になることはなく、盗人が壁に穴を開けて盗むこ
ともありません。21 あなたの宝のあるところ、そこにあなたの心もある
のです。」一体、天に宝を蓄えるとは、地上に宝を蓄えるとは、どういう
ことでしょうか。
*他人からの報いか天の父なる神様からの報いか
 この箇所は、6 章の初めからの流れの中で理解することができます。他
人から褒められたり、良い人だと思われたりするという報いを受けること
が、地上に宝を蓄えることです。反対に、父なる神様からの報いを受ける
ことが、天に宝を蓄えることを指しています。すなわち、同じことをする
にしても、自分の心は「どこに」、「誰に」向いているのか、問い掛けてお
られるのです。密かに、隠れるようにしながら、しかも、主のために、困
っている人々のために、という動機で実践するならば、天に宝を蓄えるこ
とになるのです。それは結局20 節のように「自分のために」なるのです。
なぜなら、私たちは地上の人生で終わりではないからです。やがて、私た
ちは地上の生涯を終えて、天に行くからです。天の御国で、天の父なる神
様から、豊かな報いを受けることになるからです。
*天に宝を蓄える忠実なしもべを目指して
 さて、私たちひとり一人の宝はどこにあるでしょうか? 天に蓄えてい
ますか? 地上に蓄えていますか?私の関心はどこに、誰に、向いている
でしょうか? 天の御国に心を向けて、困っている人や悲しんでいる人に
関心を寄せて仕え、執り成し祈る生き方を目指しましょう。
また、主イエス・キリストにあって、夢を抱いて、志を高くもって、誠
実に勤勉に働いて社会や世界に貢献する者でありたいのです。自分の欲望
や名誉のためではありません。主なる神様に創られ、生かされている一人
の人間として、主なる神様を愛して、神様に仕えて生きる者でありたいの
です。
 こうして、私たちは天に宝を蓄えることになるのです。他人からではな
くて、天の父なる神様から「よくやった、忠実なしもべだ」と認められる
ような、豊かな報いを頂くことになるのです。