12/8 ルカの福音書1 章39-56 節「目を留めて下さる神」 小池 宏明 牧師
今週は、主イエス様のご降誕を待ち望むアドヴェントの第二週目で
す。ユダヤの地でバプテスマのヨハネ誕生の半年前、遠くガリラヤ湖
周辺の小さな町ナザレに住むマリアという少女に御使いガブリエルが
現れ「あなたから救い主キリストが生まれる」と告げたのです。マリ
アは驚きながらも主のしもべのように従順に受け入れたのです。その
後で、マリアは、主なる神様を崇めて賛美します。46,47 節「私のた
ましいは主をあがめ、私の霊は私の救い主である神をたたえます。」マ
リアは主なる神様を高めて、自らを低くして、全身全霊で神様を賛美
しています。
*高ぶる者を斥ける神
特に 51-53 節はまるで、この世の現実をひっくり返すような革命歌
のようです。「1:51 主はその御腕で力強いわざを行い、心の思いの高
ぶる者を追い散らされました。1:52 権力のある者を王位から引き降ろ
し、低い者を高く引き上げられました。1:53 飢えた者を良いもので満
ち足らせ、富む者を何も持たせずに追い返されました。」この世の権力
者は、高ぶる誘惑から、逃れられません。そして、多くの権力者は、
特に長く権力の座にいると、高慢になって、神をも人をも畏れない、
神に取って変わるかのような高ぶりを示すようになるのです。また、
富む者は、いつのまにか「富」が「神」に成り代わってしまうもので
す。「金」さえあれば何でもできると高ぶってしまうのです。主なる神
様は、「金」に代えることができない「真の主なる神」です。主は、高
慢な金持ちからすべて奪って、飢えた貧しい者を満ち足らせるお方な
のです。
*主の御前に謙って、心から主を仰ぎ見ながら生きよう
この賛美を聞いて、私たちは、主なる神様のしもべのようにへりく
だって、主なる神である救い主キリストを仰ぎ見て生きるのか、それ
とも、心を高ぶらせ、全能の力強い神と争って、高慢になって滅びゆ
くのか、どちらの生き方を選ぶのか、問われるのです。主なる神様を
認めないで生きている者は、すでに心が高ぶっている者です。それは、
自分の心の思いが中心にあって、自己中心という高慢の罪に陥ってい
るからです。そんな高ぶりこそ危険な道であり滅びゆく道です。しか
し、まことに主は憐れみ深くご自分の民を顧みてくださり、救いの御
手を伸ばしていて下さるのです。マリアのように、従順に主の御こと
ばに聴き、心からへりくだって主のしもべとして生きる決断をしまし
ょう。これこそ、最も安全な、喜びと賛美に溢れた祝福を受ける道な
のです。