2/16 マタイの福音書7 章7-11 節「良いものを与えて下さる父なる神様」 小池 宏明 牧師
イエス様は、これまで、5 章から語ってこられた山上の説教の中で、私た
ちの自己中心性や罪深さがさらけ出されるような言葉を語ってこれらました。
私たちは「どうしたらいいのでしょうか。」、「主よ、助けて下さい。」と祈り
求めざるを得ないように導かれて行くのです。そして、イエス様は、それに
答えるかのように、「わたしに求めなさい、わたしの中に探しなさい。わたし
の扉を叩きなさい」と、「わたしに祈り、願い求めるように」命じておられる
のです。(7 節)
*熱心に継続的に求める
皆さんは、小グループや祈り会で聖書を読んだり、聖書の学びをしたり、
また、個人的に聖書を読んだり学んだりして、御ことばの奥深さを知ること
があるでしょう。探求して分かろうとする、知ろうとする、しかし、探求す
ればするほど、わからないことも多くあるという経験をされてきたのではな
いでしょうか。目には見えない、永遠で無限なるお方のことを、私たち人間
が知りつくすことはできません。できるはずもありません。ですからこそ、
求め続ける、一生涯、探し続ける、入門するかのように叩き続けることが必
要なのです。こうして、父なる神様、御子なるイエス様は、私たちの求めに
応じて与えくださるのです。新改訳 2017 の聖書の脚注には、「求め続けなさ
い、探し続けなさい、叩き続けなさい」と継続的な意味があることを記して
います。この願い求めは、主の御前で身を投げ出して、ひれ伏し、主の御前
でへりくだり続ける祈りの姿勢を表わしています。
*良いものを与えて下さる父
11 節「このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子どもたちに
は良いものを与えることを知っているのです。それならなおのこと、天にお
られるあなたがたの父は、ご自分に求める者たちに、良いものを与えてくだ
さらないことがあるでしょうか。」人間の親だって、自分の子どものためには、
良いものを与えるでしょう。ふさわしい時にふさわしいものを与えるでしょ
う。我が子のためです。「あなたがたは悪い者であっても・・・」まさに、私
たちは、自己中心で、卑しい罪人です。そんな私たちが、我が子のために犠
牲を払うとするならば、ましてや父なる神様は、どうでしょうか? ご自分
に求め続ける者たちに、良いものを与えて下さらないでしょうか。下さらな
いはずがありません。良いものとは、私の欲しいものではありません。すべ
てを見通しておられる神様が、私にとっての良いものをよくご存知で、それ
を与えて下さるのです。