4/13 ルカの福音書23 章27-43 節「悔い改めと赦し」 小池 宏明 牧師
受難週が始まりました。主イエス様が十字架に掛けられている最中に発せられ
た言葉に注目します。34 節「そのとき、イエスはこう言われた。「父よ、彼らを
お赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」
…」
*何をしている分からない罪深い私のために
「彼ら」とは、当時、イエス様を十字架に送るために実際に手を下した者たち
だけでなく、時代や地域を越えて、神様の御心が分からず、神に対して罪を犯し
ていても自覚がない私たち人間すべてを指しています。使徒パウロは、次のよう
に告白しました。「私には、自分のしていることが分かりません。自分がしたい
と願うことはせずに、むしろ自分が憎んでいることを行っているからです。」(ロ
ーマ 7:15)まさに、いやしがたい罪人です。「主イエス様が十字架上でとりなし
祈って下さったとおりの自分です」というパウロの告白なのです。「父よ、彼ら
をお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」
この祈りは、イエス様に対する「彼ら(私たち)」の無理解と、イエス様の「彼ら
(私たち)」に対する深いご愛を示しています。イエス様は「彼ら(私たち)」を
責めることなく憐れみ、信頼している父なる神様に、とりなしの祈りをささげら
れたのです。
*主のとりなしを受け継いで
まことの神であり、まことの人間であられる主イエス・キリストが、私たちの
罪を背負って十字架にかかって下さいました。そして、イエス様は、十字架の苦
しみを受けながら、私たちのために、私のために、あなたのために「父よ、彼ら
をお赦しください」と、とりなして祈って下さいました。このイエス様のとりな
しの祈りは、初代教会の最初の殉教者ステパノの祈りでもありました。(使徒7:60)
「そして、ひざまずいて大声で叫んだ。「主よ、この罪を彼らに負わせないでく
ださい。」…」こうして、「迫害する者のために祈れ」という主イエス様のご命令
は、代々の教会のとりなしとして受け継がれているのです。
水曜日の祈り会では、参加者が自分たちの祈りの課題も分かち合いますが、ほ
とんどは、隣り人(他の兄弟姉妹、求道者、未信徒)のために祈る「とりなしの
祈り」が中心です。私たちキリストの教会は、イエス様から赦され、とりなしを
受けながら生かされているのですから、今度は、私たちが、隣り人を愛して、赦
して、彼らのために、とりなし祈る者とさせて頂くのです。
