4/19 創世記18章1-21節「アブラハムに顕れたキリスト」 小池 宏明 牧師
今日も旧約聖書に啓示されている救い主イエス・キリストをお伝えします。今回は、アブラハムの
元を訪ねてきた3人の旅人の箇所を取り上げます。
*何気ない日常に顕れる主
1節「 主は、マムレの樫の木のところで、アブラハムに現れた。彼は、日の暑いころ、天幕の入り
口に座っていた。」アブラハムが普段の生活をしている場に、主が現れて下さいました。主がアブラハ
ムに現れたのは、アブラハムが叫び求めたからではありません。今日でも、主なる神イエス・キリス
トは、私たちが熱心に祈り求めた時ばかりでなく、何気ない日常の中にもご自身を顕わしてくださり、
私たちに語り掛けて下さるのです。ですから日常生活の中で、主の語りかけを聴き取る霊的な耳を、
研ぎ澄ましておきたいのです。
*旅人をもてなす伝統
アブラハムは、3人の旅人を当時から行われていた方法でもてなしました。(2-8節)特に食事につ
いて、アブラハムは急いで用意させました。しかも上等な小麦粉36 リットルも使ってパン菓子を作
らせ、柔らかく美味しそうな子牛を丸ごと使って料理させました。3人が食べて有り余るほどのもて
なしです。さらに、アブラハムが自ら給仕をしたのです。新約聖書ヘブル人への手紙13章2節には
こうあります。「旅人をもてなすことを忘れてはいけません。そうすることで、ある人たちは、知らず
に御使いたちをもてなしました。」私たちも、「旅人をもてなす」という旧約聖書創世記から新約時代
へと受け継がれている伝統を大切にして実践したいものです。
*不信仰であっても
旅人として現れた主なる神イエス・キリストと御使いたちは、来年の今頃、妻サラには男の子が生
まれると告げました。(9-10節)ところがサラは、心の中で笑ったのです。主の約束を信じられなか
ったからです。しかし、14 節「主にとって不可能なことがあるだろうか。・・・」主に不可能はあり
ません。信仰の父と呼ばれるアブラハムとその妻サラは、この段階では、まだまだ疑い深く、真っ直
ぐに主なる神様に信頼を置いて委ねることができなかった面があるかもしれません。それでも、主な
る神様がアブラハムとサラを選んで御心を成そうとすることに変更はありません。主はアブラハムの
「友」であり続けられたのです。主は、私たち、ひとり一人にもご自身を顕して下さいます。今いる、
それぞれの所に共におられ、「友よ」と呼びかけて下さいます。(ヨハネ15:15)
