8/16 ローマ人への手紙4章1-12節「不敬虔な者を義と認める神」小池 宏明 牧師
今日の箇所では、3章の後半で語られたイエス・キリストの福音の中心的な教え「信
仰義認」を実証しています。
*アブラハムの事例
パウロは、ここで、創世記15章6節の御ことばを引用しています。アブラハムに
は神様からすべての国民の父となるために多くの子孫が与えられるという約束が与え
られていました。ところが、妻のサラには子どもが与えられていませんでした。それ
でも、主なる神様は、「…ただ、あなた自身から生まれ出た者が、あなたの跡を継がな
ければならない。」と言われ、アブラハムはこの言葉をそのまま受け入れたのです。創
世記15章6節「アブラムは主を信じた。それで、それが彼の義と認められた。」アブ
ラハムは、神様の真実な約束を信じて疑わない信仰のゆえに、神様の恵みを受けて義
と認められたのだ、とパウロは言いたいのです。
*ダビデの事例
続いて、パウロは、ダビデの詩篇 32 篇を引用しています。これはダビデの悔い改
めの詩です。ダビデ王は、ユダヤ歴代の王様の中でも最も敬虔な王様であり、心から
神を信じ、神の戒めに従っていました。それでも、大きな罪を犯してしまいました。
その代表的な例が、サムエル記第二 11 章以下のバテ・シェバ事件です。ダビデは、
忠実な部下の兵士ウリヤの妻バテ・シェバと姦淫の罪をして妊娠させ、それを隠蔽す
るために、ウリヤを激戦地に送って置き去りにして間接的に殺害したのです。何とも
酷い、取り返しのつかない犯罪をしてしまったのです。しかし、その後、ダビデは、
本当に、悔いた砕かれた魂でもって深く祈り、主なる神様がその豊かな憐れみのゆえ
に悔い改めを受け入れて下さったという体験をしました。それで、「不法を赦され罪を
おおわれた人たちは、主が罪を認めない人は、幸いである。」と賛美を捧げることがで
きたのです。行いとは別の道で義と認められたのです。
*神は唯一、救いの道も唯一
主は、誰一人差別することなく、公正無私なるお方です。ユダヤ人だけ特別扱いす
ることはありません。アブラハムは歴史的にみれば、救い主イエス・キリストが地上
で贖いの御業を成し遂げる、はるか以前に生きた人物です。アブラハムをはじめ多く
の信仰者は、その約束の実現を見ませんでしたが、神様の約束を堅く信じてその生涯
をまっとうしたのです。ところが、私たちは、歴史の中で救い主キリストの到来とい
う約束が実現したことを知っています。私たちは、アブラハムよりも一層恵まれた立
場にあるのです。このすばらしい恵みを感謝して受け取りましょう。
