8/18 マタイの福音書5 章17-20 節「決して消えない聖書」小池 宏明 牧師
聖書は、旧約聖書、新約聖書、合わせて 66 巻からなる書物の集まりです。
古い書物で紀元前1400年ごろ、新しい書物でも紀元後100年ごろに記され、
今日まで綿々と受け継がれています。世界中で最も多く印刷、出版されてい
ます。ところが、歴史的には、何度も、神のことばである聖書が燃やされる、
捨てられる、という出来事が起きてきました。それでも、マタイ5 章18 節の
とおりです。「まことに、あなたがたに言います。天地が消え去るまで、律法
の一点一画も決して消え去ることはありません。すべてが実現します。」五百
数年前、宗教改革の引き金を引いたマルティン・ルターは「聖書は古いもの
でも新しいものでもない、聖書は永遠のものだ」と語りました。
*キリストの義が私の義へ
旧約聖書の律法やいけにえや儀式は、新約時代の設計図のようなものです。
新約になって、設計されていた実体が現れました。救い主、イエス・キリス
トの十字架と復活の御業です。主イエス・キリストによって、律法と預言者
(旧約聖書)のすべてが実現しました。実現するために、主イエス様は、人
間の罪の身代わりのいけにえとなるため十字架へと向かわれたのです。当時
の律法学者たちとは比較にならないほどの「義」を主イエス様御自ら全うさ
れたのです。5 章20 節には、そのようにして、勝ち取った義をあなたがたに
与えるので、しっかりと受け取って欲しい、きちんと受け取って、「わたしの
義」を「あなたがた自身の義としてほしい」と願っておられる主イエス様の
御心が込められているのです。
*主イエス様のご愛に応えることが律法の成就に至る
私たちの行いは、律法が求めていることを行うのではなくて、主イエス・
キリストが与えて下さった福音を受け取り、救い出され、天の御国が確実な
者として、主イエス様に従うことなのです。主イエス様に信頼して、主に聴
き従うことは旧約律法のすべてを全うすることになるのです。結果として、
私たちの信仰は、行いとなり現れます。隠しておくことができません。それ
は、主イエス・キリストの犠牲の愛によって愛された私たちの感謝の応答な
のです。すなわち、主イエス・キリストが、私たちを愛して下さったように、
私たちも神を愛し、隣り人を愛して生きることがすべての律法を満たすこと
になるのです。使徒パウロはローマ人への手紙13 章10 節で語ります。「愛は
隣人に対して悪を行いません。それゆえ、愛は律法の要求を満たすものです。」
私たちも主に愛され救い出された者として、主のご愛に応答しながら生きた
いのです。