9/29 マタイの福音書5 章 43-48 節「天の父の子ども」 小池 宏明 牧師
今朝は5 章の最後を開いていますが、先週に続いて、キリスト教の本質が
自己犠牲の愛であることを示しています。
*天の父の子どもになるため
43 節「『あなたの隣人を愛し、あなたの敵を憎め』と言われていたのを、
あなたがたは聞いています。」イエス様は、長年に渡り、パリサイ人や律
法学者たちが間違って受け継いできた教えについて取り上げて否定しま
す。44 節「しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、自
分を迫害する者のために祈りなさい。」
「汝の敵を愛せよ」は、何度も聞いている言葉でしょう。とても高尚で、
理想的な教えで、誰もこの御ことばに反発する人はないでしょう。一方で、
具体的に実践しようとすると、できない自分に気付いて無力感を持つこと
もあります。主イエス様は私たちを苦しめるために、とてつもなく高いハ
ードルを用意したのではありません。そもそも、主イエス様は、私たちを
救い出して、自由にするために、すべての罪の重荷から解放するために、
この世に来て下さったのです。主イエス様は、「敵」を作っては生き辛い
生活を送っている私たちに、そんな生活から解放するために教えておられ
るのです。こうして、私たちは名実ともに天の父の子どもになるのです。
*完全な神の愛を目指して
天の父なる神様の完全な愛とは、45 節に現れています。「…父はご自分の
太陽を悪人にも善人にも昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降ら
せてくださるからです。」どんな人も差別することなく、たとえ敵対する
者であっても、分け隔てなく愛することができるのが父なる神様の完全さ
です。(48 節)そして、イエス様は、そのような愛を目指しなさい、と勧
めておられるのです。それでこそ、本当に、天の父なる神様の子どもとな
るのです。
こうして、私たちは、どんな人をも差別すること無く、どんな人にも捕ら
われることのない本当に自由な解放と救いを経験することになるのです。
分け隔てなく隣り人を愛する者を目指して、たとえ敵対する者がいたとし
ても、その人のために執り成して祈ることができるように励もうではあり
ませんか。