9/7 詩篇84 篇 「主の住まいへの憧れ」五十嵐 賢志 牧師(JECA笠間キリスト福音教会)
*祭壇の火が途絶えた
詩人は、主の住まいを慕っています。その主の住まいとはどのようなもの
なのでしょう。「住まい」と言うものの、ここには建物が見当たりません。
3 節「雀さえも住みかを 燕もひなを入れる巣を」とは、こんな小さな小鳥
たちでさえも居場所があるということ、そこは「祭壇のところ」であると言
います。それは、本来、いけにえを焼くためのかまどです。古来より祭壇の
火は繰り返され、消えることはありませんでした。雀の住みか、燕がひなを
育てる所としては不向きです。また小鳥たちは獣から身を守るために木の高
いところに巣を作るのですから、そこは低過ぎるのです。これは、いけにえ
が終わり、危険な獣たちはいなくなったということを示しています。罪のた
めの宥めはもういらなくなった、いけにえが十分ささげられたということで
す。この祭壇は十字架を指し示していたのです。
*大路へと向かう心の力
詩人は、どういう状況からこの「住まい」を思い描いているのでしょう。
「万軍の主よ」という呼びかけからこの詩は始まり、この表現は繰り返さ
れています。おびただしい軍を率いるヤハウェという名の神です。なぜ戦を
連想させる呼び名を用いるのか、それは詩人がまさに戦の只中にいるからで
す。圧倒的な味方を欲していたからに他なりません。私たちは、好むと好ま
ざるとに関わらずさまざまな競争を強いられ、人を蹴落としてでも上を目指
さなければならないのです。詩人は戦火をくぐり抜けるようにして、「万軍の
主」の住まい、その大庭に辿り着こうとしていたのです。5 節「その力があな
たにあり」とは、「涙の谷」過ぎようとしている「彼ら」(6 節)のことであ
り、その「力」は敵を圧倒するようなものではなく、「シオン」に心を向ける
という本のささいな気力のことなのです。
*盾はあるが剣はない
戦をイメージさせるモティーフが随所に見られながらも、彼の手には剣は
なく、あるのは「盾」(9 節)だけなのです。「悪の天幕」(10 節)に宿ろうと
する誘惑に対して防戦一方であるということでしょう。しかし「盾」はある。
それは「油注がれた者の顔」(9 節)と言い換えられています。メシアの御で
あるということでなくて何でしょう。贖い主キリストこそが、われらを守る
「盾」です。私たちには「心の中にシオンへの大路」へと向かう小さな力が
残されているのではないでしょうか。詩人と同じように主のみ住まいに憧れ、
その大庭を恋い慕いたいのです。
