6/21 ローマ人への手紙1章18-32節「異教世界の罪と審判」小池 宏明 師

いよいよ、この手紙の本論に入っていきます。パウロは、すべての人々に「福音」がな
ぜ必要なのか明らかにするために、まず、人間の罪の問題を取り上げています。今日の箇
所は「異教世界の罪」を取り上げています。
*不敬虔な人々
18 節の「不義によって真理を阻んでいる人々」とは異教世界の人々のことで、彼らは「不
敬虔」とされています。「不敬虔」とは、まことの主なる神様を神としてあがめず、感謝も
しない心の状態です。罪の本質は、神との正しい関係が失われて、神様と不仲な状態にな
っている心です。しかし、神様についての真理は、すでに明らかになっているのです。神
様が明らかに示しておられます。それは、神のことばである聖書を知らない異教世界の人々
にも明らかになっています。それは神様が創り出した被造物を通してはっきりと示されて
いるのです。それなのに、あえて、神を認めずに、神をあがめることも感謝することもし
ない人々がいるのです。私たちもかつては、まことの神様を認めない人々の一人だったか
もしれません。
*救い主の必要性
ついに、まことの神様を崇めることも敬うことも、感謝することもない者たちへの神様
の怒りが示されました。どのように示されたのかというと、24節で「神は、彼らをその心
の欲望のままに汚れに引き渡されました。」、 26節で「神は彼らを恥ずべき情欲に引き渡さ
れました。」、 28節で「彼らは神を知ることに価値を認めなかったので、神は彼らを無価値
な思いに引き渡されました。」とあるように、まことの主なる神様が、不敬虔な者たちを汚
れに引き渡し、恥ずべき情欲に引き渡し、無価値な思いに引き渡すことによってです。こ
の「引き渡した」という言葉は、「任せた」とか、「見放した」とか、そういう意味もあり
ます。主なる神様が、そうしたのですから、私たち人間が、何か文句を言える立場にはあ
りません。しかし、彼らは神様の怒りを受けている、つまり神様はそれを喜んでおられな
いのだと判断して、神様に憐れみを求める他ありません。主イエス様が、罪深い人間に対
して、内臓がよじれるような憐みを示してくださったように、私たちもその人に憐れみの
心を持つことです。そして、「まことの神様を知ることに価値を置いて欲しい」と訴え、福
音を証しして、お伝えするほかありません。主なる神様が引き渡しているのですから、本
人自身の意志や決断で解決できることではありません。どうしても救い主、イエス・キリ
ストが必要なのです。救い主がおられることを証しする必要があるのです。