1/12 マタイの福音書6章19-24節「二人の主人に仕えることはできない」小池 宏明 牧師

今朝の聖書は、主イエス様が語られた山上の説教の中でも有名な箇所の一つ
です。24節「だれも二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他
方を愛することになるか、一方を重んじて他方を軽んじることになります。
あなたがたは神と富とに仕えることはできません。」
*まずキリストが私に仕えて下さった
私たち人間は、主なる神様に創り出されている被造物なので、創り主なる神
様の御許に立ち返らない限り、真の安らぎはありません。人間は最初の人ア
ダムの堕落以後、立ち返るべき主人を見失い、さ迷いながらも、頼りになる
何かを求め続けているのです。ついには、自分で自分の神々を造り出して、
自分で拝むようになり、今日のように、目に見える見えないに関わらず偶像
に溢れた世界になってしまいました。しかし、救い主イエス・キリストが来
て下さったので、仕えるお方がはっきりと分かるようになったのです。イエ
ス様が伝えたいことは、主なる神様のみに仕えなさい、その他のことは、主
の御心に叶って適切に管理して用いて生きなさい、ということです。
*アグルの願いのように
箴言の30章を記したアグルという人物で、ソロモン王に認められた賢者がい
ました。アグルは、二つのことを神様に願いました。7-9 節「 二つのこと
をあなたにお願いします。私が死なないうちに、それをかなえてください。 む
なしいことと偽りのことばを、私から遠ざけてください。貧しさも富も私に
与えず、ただ、私に定められた分の食物で、私を養ってください。 私が満腹
してあなたを否み、「主とはだれだ」と言わないように。また、私が貧しくな
って盗みをし、私の神の御名を汚すことのないように。」アグルは、豊かにな
って満腹して主なる神様を無視して、神など頼らなくても自分で生きていけ
ると傲慢にならないように私を富ませないで下さい、と願うのです。また、
貧しくて、人の物を盗んで十戒(神の戒め)を破って、神様を汚すことがな
いように、貧しくさせ過ぎないで下さい、と願うのです。アグルは神様を畏
れて、神様の御前で謙遜に従順に生きていきたいのです。その生き方を壊す
ような誘惑がないように願い求めています。
私たちは弱い者です。アグルのような謙虚さを身に着けたいと思います。富
という偶像に頼るのではなく、主なる神様のみに頼って、御ことばに聴き従
う歩みをおささげしたいのです。