1/26 マタイの福音書6 章33-34 節「労苦はその日に十分ある」 小池 宏明 牧師
今回も、主イエス・キリストが語られた山上の説教の続きを開いております。イエ
ス様は、食べ物や着る物という、私たちの身近な関心ごとを例に挙げながら、心配し
なくてよい、思い煩う必要は無い、と励ましてくださいました。
*一日一日悪いことを受けているから
私たちが思い煩わなくてよい理由は、苦労はその日その日に十分あるからです。(34
節)は、ギリシア語の原文に近づけて訳せば、「もう十分、一日にはその日一日の苦労
があるから。」となります。もう十分に苦労しているから、その上さらに思い煩わなく
ても、心配しなくてもいいよ、と言っているのです。しかも、「苦労」という言葉は、
「心地よい苦労」や「辛いけど楽しい苦労」というような意味ではありません。「悪い
こと」「いやなこと」「つらいこと」などと訳すことができる言葉が使われています。
つまり、毎日毎日かなりつらい事がある、毎日の嫌なことや苦しいことをそのまま受
けているあなたは、それで十分ではないか、という意味になります。毎日のさまざま
な苦労を、そのまま引き受けて誠実に生きていれば、それで十分なのです。
*神の国と神の義を求める生き方
イエス様は 33 節「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのもの
はすべて、それに加えて与えられます。」と語られました。「神の国」とは「主なる神
様が支配される領域、あるいは神のご支配を受けている状態」のことを言います。ま
た、「神の義」とは、神の完全なる正義、公正さ、および倫理的な完全性を指します。
これは神が全ての行いにおいて、完全に正しい判断を下し、公平であるということで
す。特に、「神の義」は、罪からの救いや人の信仰に関連しています。すなわち、「ま
ず神の国と神の義を求めなさい。」とは、主なる神様に信頼して、救いの恵みの中で
生きることを優先しなさい、ということです。
私たちが住んでいるこの世界は、様々な面で危機に瀕しています。地球温暖化によ
る自然災害の猛威があり、さらに覇権主義が横行して戦争が繰り返されるでしょう。
世の終わりがますます近づいていると不安になります。心配になります。思い煩って
しまいます。そうだからこそ、主イエス様は、何よりも「神の国と神の義を求めなさ
い」と勧めて下さっているのです。それは、私たちに必要なもののすべてをよく知っ
ていて整えて下さる父なる神様を信じなさい、ということなのです。