10/20 マタイの福音書6 章 16-18 節「断食をするときには」 小池 宏明 牧師

当時のユダヤ人たちが、大切にしていた善行の一つ「断食」ついて取り上げま
す。断食は旧約時代にも新約時代にも実行されていましたし、なによりも主イエ
ス様が実行されました。ところが、当時は、断食の動機がほとんど他人に見せる
ためになっていて、特に、イエス様が説教された頃には、パリサイ人や律法学者
たちは一週間に二回断食をしていたのに、それが返って傲慢の罪を犯すことにな
っていることをイエス様は見抜いておられました。
*断食の意味
では、本来の断食の意味は何でしょうか。一つは、断食をして心も体もすべて
を集中して、主なる神様に心身を向けるという意味があります。神様以外のもの
に向かってしまう心を捨てて、神様以外の一切のものから自分を解き放つことで
す。余念なく主なる神様のみと向き合うために格闘することになります。もう一
つの意味は、悲しみや苦しみを表すことです。旧約時代、ユダヤ人たちが体験し
た神の裁きは、主なる神様を無視して、他の神々や偶像に仕えた罪が根本的原因
でした。その罪を悲しみ、悔い改める行為として断食したのです。
*偽善者の断食と主が勧める断食
ところが、断食は、当時の律法学者やパリサイ人たちの偽善的行為になってし
まったのです。(6:16)わざと顔をやつれさせて、あるいは頭に灰を被っては悲し
み、いかにも信仰深い者であることをアピールするための断食に、なり下がって
いたのです。主イエス様は、このような形だけの傲慢さを助長するための断食を
批判されました。(6:18)他人に気付かれないように断食をして、普通に日常生活
を送るように勧められました。
*集中して主に向き合うために
さまざまな雑事や欲望に邪魔されてなかなか神様に向き合うことができないと
感じておられる方は、集中して静まって、主なる神様に向き合うための断食を実
践してみてはどうでしょうか。他人に気付かれないように、隠れるようにして行
う断食に対して、隠れた所で見ておられる父なる神様が豊かに報いて下さるので
す。断食までは難しいと思われる方も、時には、自分を振り返り、私の罪は赦さ
れているか? 救いの確信と喜びの中に立ち続けられているか? 神様に心が向
いているか? 確認してみましょう。毎週、主イエス様にお会いするために、主
を賛美して、主の御心を求めるために、共に集まり、礼拝をお捧げできましたこ
とを感謝して、共に、それぞれの持ち場へと出発して行きましょう。