10/6 マタイの福音書6 章 1-4 節「隠れたところで見ておられる父なる神」 小池 宏明 牧師
当時、律法学者たちをはじめユダヤ人たちが受け継いできた信仰生
活の中で大切とされる善行は、三つありました。「施し」と「祈り」と
「断食」です。律法学者やパリサイ人たちは、そのいずれも、人々に
見せるために実行していたのです。それを見て、イエス様は彼らを「偽
善者」であると指摘しておられます。
*偽善者にならないための秘訣
さて、イエス様は偽善者にならないための秘訣を三つ挙げています。
一つ目は、2 節のとおり、自分の前でラッパを吹かないことです。こ
れは、吹聴しない、あちこちで言いふらして自慢しない、ということ
です。
二つ目は、3 節です。「あなたが施しをするときは、右の手がしてい
ることを左の手に知られないようにしなさい。」自分に自分の義を見せ
ようと、自分を偽ってはいけない、ということです。人々に対して自
慢できないとなれば、せめて、自分に対して威張ってみたり、自分で
自分は「まんざら捨てたものではない」と誇ってみたりするものです。
主イエス様の言葉は、単純ですが、まことに難しいことを求めていま
す。自分で自分を飾る偽善をも捨てなさい、ということです。
三つ目は、4 節です。「あなたの施しが、隠れたところにあるように
するためです。そうすれば、隠れたところで見ておられるあなたの父
が、あなたに報いてくださいます。」つまり、父なる神様からの報いが
あることを信じることです。これは信仰の問題なのです。私たちの信
仰が高められ、深められていくならば、他人に見られていなくても、
褒めてもらえなくても、隠れたところで見ておられる父なる神様の視
線に気づくようになっていくでしょう。眼には見えない神様を本当に、
本気で信じているのか?と問われているのです。何をするにも、神の
栄光のためにするのです。主なる神様が崇められるように生きるので
す。
私たちの信仰生活は、他人からの報いではなくて、主なる神様から
の報いを受け続ける生活なのです。信仰生活の中に、善い行いも、施
しも、ささげ物も、キリストを証しすることも含まれています。それ
らを喜んで主のために行うなら、隠れたところで見ておられる憐れみ
深い父が大きく報いて、大いに祝福してくださるのです。