11/1 ローマ人への手紙7章14-25節「内的戦いのゆえに」小池 宏明 牧師
ローマ人への手紙7章後半では、パウロの口調が、確信に満ちた表現から戸惑いと
嘆きに溢れた表現へと変化しています。クリスチャンは、イエス・キリストの十字架
と復活の恵みによって、本質的な罪の性質である原罪の支配から解放されましたが、
枝葉的な罪の支配は受け続けています。パウロは、自分がしたいと願うことはできず、
憎んでいることを行っていると苦悩しながら告白しています。私たちも、感謝して生
きたいと思いながら愚痴をこぼし、隣り人を愛そうと決心しながら、家族と喧嘩して
しまうことがあります。したくないと自覚していることは、律法を良いものと認めて
いる証しです。本当の自由は、欲望のままに生きることではなく欲望から自由にされ、
神様の御心にかなった正しい良いことを自由に行えることです。
*からだの内に善はない
パウロは、良いことをしたいという願いがいつもあるのに実行できず、自分のうち
に住んでいる罪が、したくない悪を行わせていると語ります。これは、罪を犯しても
よいとか、犯した罪に責任がないという意味ではありません。戦っても戦ってもぬぐ
い切れない現実を、正直に嘆いているのです。戦いが生じるのは、人格の中心である
「内なる人」が御霊に支配され、神の律法を喜んでいるからです。しかし、からだに
ある罪の性質があり、常に戦いを挑んできます。人の徳を立てるために用いるべき口
で、人を傷つける言葉を発してしまうように、正しいことを願う心と、罪に囚われる
現実との間に、内なる戦いがあるのです。
*内的の戦いこそ救いの証し
「私は本当にみじめな人間です」というパウロの言葉は、罪に対する弱さを正直に
告白する謙遜さの表れであり、御霊によって歩んでいる証しでもあります。自分の無
力さを自覚するとき、神の恵みによる助けを求める祈りが生まれます。主イエス・キ
リストは私たちの弱さを知り、罪のためにとりなし、救いの道を備えてくださいまし
た。完全な勝利はキリストの再臨を待つことになりますが、その希望があるために、
現実の自分に絶望することなく、聖化の道を歩むことができるのです。クリスチャン
たちは、熱心さや努力だけに頼らず、御ことばに聴き、主の助けを求めながら成長し
ていくのです。また、自分では気付けない罪があることを覚え、互いに寛容を示し、
赦し合い、祈り合い、神に感謝しながら生きる者でありたいのです。
