11/17 子ども祝福礼拝 ヨハネの福音書8章1-11節「ゆるしてくださるイエスさま」 小池 紀子師
イエス様が神殿でお話をしておられるところに罪を犯した女の人を連れた
パリサイ人や律法学者がやってきて「聖書の中には、こういう罪を犯した人
は、石うちの刑にするようにと書かれています。イエス様ならどうしますか?」
と問いました。イエス様をためそうとしてこんなことを言ったのです。イエ
ス様はしゃがんで、地面に指で何かを書いておられました。何を書いていた
のか、どのくらいの時間だったのかはわかりませんが、きっと、これはイエ
ス様にとっても、それをじっと見つめる人々にとっても必要な時間だったの
だと思います。主イエス様はどうされるだろうか、なんといわれるのだろう
かと静かに待つ時が必要なのかもしれません。
イエス様は、身を起こしてお話になられました。「あなたがたのなかで、罪
のない者が、まずこの人に石を投げなさい。」
一番年上の人から順に石を置いて、帰っていきました。そして、最後には、
女の人とイエス様だけになっていました。
イエス様は言われました。「わたしもあなたにさばきをくださない。行きなさ
い。これからは、決して罪を犯してはなりません。」
イエス様は神様のひとり子であり、神様そのものでもあられます。そのイエ
ス様には罪がありません。ですから、この女の人をただひとりさばくことの
できるお方です。でも、イエス様は女の人に石を投げてさばくことはしませ
んでした。さばくのではなく、おゆるしになったのです。イエス様は、後に、
十字架につけられ、死なれました。それは、私たちすべての人間の罪の身代
わりとなってくださったのです。ですから、イエス様は、本当は罰をうけな
ければいけない私たちの罪をおゆるしになることができるのです。女の人は、
きっと後になって、イエス様がなぜ、ゆるすということが言えたのか、本当
の意味がわかったのだと思います。
「もし、わたしたちが、自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方です
から、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。」ヨ
ハネの手紙第一 1章9節
いつも神様に、イエス様につながっているなら、罪がわかるようになります。
そして、その罪をイエス様の前でごめんなさいと言い表すなら、イエス様はそ
の罪をゆるしてくださるのです。イエス様は、みんなの前でおまえに罪がある
と責め立てるようなお方ではなく、ひとりひとりの暗くてきたない心とむきあ
ってくださり、ゆるされた喜びをもって行きなさいと励ましてくださるのです。