11/23 マタイの福音書25章31-46節「最も小さい者一人のために」小池 宏明 牧師
今日の箇所では、キリストが再臨される時に、羊とやぎに分けられるという例
えが語られます。
*最後の審判はすべての人に
32 節で「すべての国の人々が御前に集められます」とあるように、再臨の時の
審判は、すべての国々の人々が対象です。両極端な二種類の人々が、今、一緒に
住んでいて、誰が羊で、誰がやぎなのか区別は付きません。しかし、羊は、長ら
くやぎと同居させられていても、やぎのようになって良いのだ、と考えてはなり
ません。終わりの時を見据えながら、やがて、選り分けられることを自覚して、
自分たちキリスト者は、世の人々とは別の者であることを、常に自覚しながら生
きなければならないのです。私たちは恵みの故に罪赦された者であることに感謝
し、証しの生活をしていくのです。具体的には、兄弟愛の実践です。主にある兄
弟姉妹たちに自らを犠牲にして寄り添う者たちが羊たちであり、正しい人たちで
あり、御国を受け継ぐことになる、と言われるのです。(37-40節)
*善行で救われるのではない
しかし、兄弟愛の実践が救いの条件ではありません。聖書全体から見て、信仰
によって正しいとされる、信仰義認の教義は、間違いないことです。「私たち罪人
は、キリスト・イエスを信じることによってのみ救われるのです」 ここでは、
愛の業を実らせるまことの信仰と、口先だけの偽の信仰、すなわち不信仰とが区
別されています。父なる神様が私たちを祝福し、御国を世の初めから用意して下
さっていることと、神の子どもとされて、主イエス・キリストと兄弟姉妹の間柄
になっていることに限りない神様の憐れみを実感して感謝することに心を傾ける
ことが大切です。その時、愛の業は、自然に実っていくのです。
*最も小さい者は最も身近に
最後に、王であるイエス様が、羊たちに語られた言葉を見ます。40節「すると、
王は彼らに答えます。『まことに、あなたがたに言います。あなたがたが、これ
らのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしに
したのです。』私たちにとっての、最も小さな者の一人は、私たちの身近にいま
す。小さな者たち、弱い者たちのために自分はどのような犠牲を払うことができ
るでしょうか。イエス様こそ、最も小さく弱い私のために命を捨てて下さったで
はありませんか!小さき者を顧みて救い出して下さった主イエス様に心から感謝
し、この救いの恵みを、御国を受け継ぐ者とされた恵みを、身近な人々に分かち
合いたいのです。
