7/14 マタイの福音書5 章8 節「心のきよい者の幸い」 小池 宏明 牧師

今日は、イエス様が語られた八福の教え6 番目に注目します。
「幸いなるかな、心のきよい者、その人たちは、神を見るからです。」
*きよい心とは
ここで使われている「きよい」という言葉は、「混ざり物がない」、「水で薄
められていない」ことを意味する言葉です。それは「誤魔化しや偽りがない
こと」、「二心でないこと」を言い、単純に、一心に、ひたすら神様を求める
人、正直に自分の心の現実を主なる神様の御前で告白する者こそが「心のき
よい者」なのです。そういう人を神様は本当に聖めてくださいます。ヨハネ
の手紙第一1 章9 節の御ことばの通りです。「もし私たちが自分の罪を告白す
るなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不
義からきよめてくださいます。」この御ことばの約束に立って、たとえ罪を犯
してしまったとしても、そのことを隠さずに、誤魔化さずに、正直に、神様
の御前で告白するならば、神様は主イエス・キリストの十字架の贖いのゆえ
に、赦して下さいます。そればかりでなく、これからは同じような罪を犯さ
ないように聖めて下さる、という約束です。
*神を見る心のきよさ
そして、主なる神様にひたすら頼る「心のきよい者」が主なる神様を見る
ことになるのです。もちろん、今、人間の肉眼で神様を見ることではありま
せんが、真の主なる神様は、正直に自らの心の内を告白する真実な信仰者を、
その人の心をよく見ておられるのです。
私自身が、主なる神様から見られていること、神様が私をも導いて守って
いてくださることを知るならば、私自身もあらゆることに、主なる神様を認
めて生きていく信仰が強められるのではないでしょうか。私の周りに起きて
いるさまざまな出来事の背後に主なる神様のはたらきや導きを見ることがで
きるのではないでしょうか。こうして、キリストが来られる再臨の時には、
はっきりとキリストを見ることになるのです。
主なる神様は、自らの心の内を正直に告白する者を決して忘れることなく、
覚えていてくださり、知っていて下さるのです。神様は、幼子のように素直
に主イエス様を受け入れる者を救い出して下さり、天の御国へと招き入れて
下さるのです。