9/8 マタイの福音書5 章33-37 節「口を開く前に」 小池 宏明 牧師
マタイ5 章33-34 節前半「33 また、昔の人々に対して、『偽って誓ってはなら
ない。あなたが誓ったことを主に果たせ』と言われていたのを、あなたがたは聞
いています。34 しかし、わたしはあなたがたに言います。決して誓ってはいけま
せん。…」この「決して誓ってはいけません」というイエス様の言葉は、はたし
て神様の御前で誓うことをすべて禁止しているのでしょうか。そうではありませ
ん。
*当時のパリサイ人たちの言い逃れ
当時のイスラエル人たちは、旧約聖書のモーセの十戒に基づいて、主なる神様
のお名前をみだりに唱えてはならない、と命じられていました。それで、神様の
お名前を直接口にしないようにしていたのです。ですから、何か「誓う」時には、
神の名前ではない、天にかけて誓ったり、地にかけて誓ったり、エルサレムにか
けて誓ったり、自分の頭にかけて誓ったりするようになったのです。しかし、し
だいしだいに、誓約を果たせなくなった時、あるいは果たしたくなくなった時に、
「私は主なる神様を指して誓ったのではない」と言い逃れするようになります。
「天」は「神様ではない」から、「天にかけて誓ったら果たさなくても大丈夫だ」
と誤魔化すようになります。そのことをイエス様は指摘しているのです。(34-36
節)「そんなに守れない、守りたくないのなら、もはや、決して誓うな!」という
のが、この時のイエス様のご命令です。長い歴史を刻んできた主の民、イスラエ
ルであっても、イエス様の時代、多くの人々(特に律法学者たち)の信仰は形式
的になり、神様の御前でも、言い逃れしたり、誤魔化したりする姑息な方法を手
に入れてきたわけです。
*真実はイエス様を見倣って
私たちクリスチャンは大丈夫でしょうか。2000 年もの歴史を刻んで来たわけで
すが、口から出る言葉が、軽々しいものになっていないでしょうか?神様の御
前で誓った約束を誠実に果たしてきたでしょうか? 洗礼式の時の誓約内容を覚
えていますか? 忘れてしまっていれば誓いを果たすことができません。神様は
「どんなことでも赦して下さるのだから」と軽口を叩いては御名を汚すことはな
いでしょうか。ペテロの手紙第一 2 章 22 節には、イエス様のお姿が記されてい
ます。「キリストは罪を犯したことがなく、その口には欺きもなかった。」主イエ
ス・キリストは常に真実を口にされていたのです。弟子のペテロが証言している
のですから間違いありません。私たちも真実な主イエス・キリストのお姿を仰ぎ
見て、少しでも見倣う者でありたいのです。